ゆうひがなみだでひかってるきょうしゅうにっき13 ちょっとあしぶみ

October 26, 2006

きょうしゅうにっき12 かるいわだいとおもいわだい

今日は、応急救護の講習を受けてきました。
教官さんが、なんというかカルい(?)人で、
「長いからね、ずっと話してると疲れちゃうから、ちょっと遊びましょう」
とか言い始め、クイズとかだしてきます。
もしかして応急救護に関係あんのかと思ってたら、全然関係なかったです。
本人の弁では、アイスブレーキングだったそうな。

そんなカルいノリで流れていったわけですが、
心肺蘇生とかを勉強するもんだから、
話題は人間には空気(酸素)が必要で、
それは細胞を維持するためだって感じで、
それで脳に酸素がいかなくなったら脳死しちゃうんだよ、ってところで、
「自分が脳死したら、それでも生きていたい?死にたい?」
ってひとりひとりに聞くわけですよ。
うわっ、急に重い!って思ってたら、更に、
10人弱いたんですが、ほとんどの人が「死にたい」ってこたえるんですよね。
「生きたい」って答えたのは、おれともう一人。
こんな差があったんやーって思ったわけです。

で、こっからは教習関係ない話にシフトしていくんですが、
おれは別にどっちが正しいとかはやっぱ今んとこは分かんないなーってなっちゃうし、
あくまでも哲学としてというより感覚として「そりゃ生きたい」って思ってる程度なわけで。
そう思わない人達はやっぱ費用だとか、生きてても仕方ない、とか言うみたいで、
そこに対して別に反論というか異論を唱えられるわけでもないんです。
ただ、自分の大切な人が、そういった状態になったとして、
その人が実は死にたがってる(表現としては微妙なところですが)って思ってたら、
きっとおれは悲しいだろうなーって。
でも、それによって自分の人生は外からみれば、「縛られ」ちゃうんですよね。
それによって、臓器移植とかによって生きられる人のチャンスを見過ごしちゃうんですよね。
うん、難しい。
きっと、この倫理的な問題点について、人類が明確なこたえを見つける前に、
医療の進歩がもうちょっと幸せなこたえを見つけてくれるんだろうなって思います。
生命を維持することにそんなに費用がかからなくなったり、
臓器は人工でつくれて、人間から移植する必要がなくなったり。

人任せの楽観視やけど、切に期待してます!お医者様!!


at 22:47│Comments(0) めざせ!教習王!! 

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